中国史が流行って欲しい2
こんにちは。Sです。少し期間が空いてしまいました。実は、みなさんに紹介したい本があったのですが、読破するのに時間がかかってしまったからです。しかし、ついに読み終わって、このブログにかける日がきました。その本とは「図説中国文明史」全10巻です。今回は、この本と最近気になっている分野、それともう一つおまけの話をさせてください。
まず、「図説中国文明史」についてです。この本は中国で出されて日本語訳された本で、その名の通り、中国の文明史にスポットをあてた本となっています。そのため、政治史が少なめという特徴があります。というか、必要最低限しか触れられていません。でも、中国史好きにとって、これはむしろ高得点ではないでしょうか。なぜなら、中国の文物についてわかりやすくまとめた本が日本では少ないからです。この本は、中国史の社会、軍事、経済、農業、文化、学問、宗教など、ありとあらゆることをテーマとしており、翻訳された本ながら大変読みやすいものとなっています。さらにもう一つ、この本をみなさんにおすすめしたい点が資料の豊富さです。各巻約400点のフルカラー図版という贅沢さ。ただ、残念ながら中華民国以降の巻はないので、そこは注意してください。本当なら内容についても触れたいのですが、この本の最大の特徴は資料の豊富さにあると思っているため、ここではその点について,これ以上は語ることが難しいです。ただ一つ蛇足を加えるとしたら中国で作成された本だけあって、この本では、日本ではあまりみられない資料がたくさん掲載されています。みなさんにこんな本があるのだと知ってもらい、実際に手に取ってもらえれば幸いです。中国史好きなら、この本を手にとったら、その先は自然と指がページをめくらずには
いられないと信じています。そのため、これ以上は何も申し上げません。
次に話したいのが、最近気になっている分野についてです。それは、中国史に出てくる異民族についてです。以前、紹介したYou Tuberの「鳥人間 中国史三昧」というチャンネルで,モンゴル帝国の回を見て、それがとても面白く、そこからさまざまな異民族が気になっています。その中でも、みなさんに今日紹介したい異民族は女真族です。その中でも特に、金王朝を樹立した完顔阿骨打です。ちなみに、異民族についてはまだ詳しくないので、ここから話すことは「鳥人間 中国史三昧」チャンネルの受け売りということを、先にお断りさせていただきます。完顔阿骨打は女真族のうち、生女真の完顔部に生まれました。当時の女真族は契丹人が建てた遼王朝の強い影響を受けていました。阿骨打が生まれた生女真は女真族の中でも,遼に服属していない女真族の一派でしたが、完顔部は貢納や交易を通じて遼と関係を持っていました。阿骨打は若い頃から剛毅果断かつ寡黙な性格で,英雄然とした風格を漂わせていたそうです。例えば、遼の皇帝が開いた宴で踊りを求められた際に、これを毅然と断ったというエピソードがあります。1113年に兄が死ぬと、阿骨打は完顔部の首長と遼の皇帝から与えられた節度使の位を継ぎました。さらに女真族の諸首長のリーダーとして,都勃極烈(トボギレ)も称しています。すると、阿骨打はかねてより遼に対して,不満を高めていた生女真の諸部を集めて,「海東青は我らの土地に産しながら、遼の空を飛んでいる。悔しいとは思わないのか。」と叱咤し、彼らを奮い立たせました。そして完顔阿骨打は遼に対して反旗を翻し、各地の遼軍を破って勢力を広げました。ちなみに、海東青とは狩猟用の鷹のことで、遼の王侯貴族が鷹狩りに愛用していました。女真族は多大な犠牲を払って,遼に海東青を献上していました。その後、1115年に女真族による国家の樹立と
自身の皇帝即位を宣言しました。これを金王朝といいます。なお阿骨打は、「遼は精錬した硬い鉄を国号としたが、鉄は結局変色して崩れ去る。しかし、金はそうはならない。金は白く、我々は白を貴ぶのだ。」とも言ったそうです。遼への対抗心の激しさを表すような言葉ですね。さて、ぶっちゃけて言えば、僕は「」で示した阿骨打の2つの言葉がすごくカッコいいと思い、それを紹介したくて彼を取り上げたので、正直もう満足しています。そこで、彼の物語は一旦ここまでとさせてもらいます。続きが気になる方はぜひ「鳥人間 中国史三昧」チャンネルでご覧ください。ちなみに、また蛇足を加えますと、ここからの彼の物語も心を熱くさせる、素晴らしい話がたくさんあります。つまらないから話をやめるわけではありません、ということを付け加えさせてもらいます。
最後におまけの話として、最近始めたことを紹介させてください。新釈漢文大系「戦国策」を読み始めたことと、中国時代劇「三国志~司馬懿 軍師連盟~」を見始めました。2つともまだ途中ながら、このブログで複数回にわたって取り上げたいほどの素晴らしい内容です。そのうち、今回は、新釈漢文大系「戦国策」で、特に面白かった話を一つ取り上げさせていただきます。ちなみに、「戦国策」についてはまた紹介しますので、今回はそういう本があるのだな,くらいでお願いします。あと今回は、細かい時代背景などの説明を省略し、正しい用語よりもわかりやすい表現を優先して使うことをあらかじめご了承いただけますよう、よろしくお願いします。それでは、始めます。戦国時代のある時、西周の太子(世継ぎ)が亡くなりました。西周の領主には5人の息子がいましたが、代わりの太子を誰にするかは決めかねていました。そこで、楚の大臣の司馬翦が王に、「5人の息子のうち、咎に土地を与えて西周の太子にするよう、西周の領主に働きかけましょう。」と進言しました。すると、楚の説客の左成が司馬翦へ説いていいました。さて、ここで一度考えてください。左成は司馬翦になんと説いたと思いますか。答えは、「西周の領主が楚の王の要請を聞き入れなければ、あなたは窮地に立たされ、楚と西周の関係はギクシャクします。それよりも司馬翦様は西周の領主にこう言ったらどうでしょうか。『西周の領主様は誰を太子にしようとされているのですか。それを私に教えて頂ければ、私(司馬翦)が楚の王に説いて、お望みの太子に土地を与えるように楚の王へ進言しましょう。』ただし、この策を実行する前にやるべきことがあります。楚の相国(総理大臣みたいなもの)の側近に使い(使者)をやって『楚の王は司馬翦に西周の太子を助けたいそうです。この男(司馬翦)は手強い相手なので、国内においておいたら相国のためにはなりません。』と告げさせるのです。」すると、相国は王に対して,司馬翦に西周の太子を助けさせるよう画策してくれたそうです。この話のすごさが伝わったでしょうか。司馬翦は楚の王のために西周の太子擁立に一役買い、楚の勢力を西周に植え付け、あわよくば、自分も太子擁立の功によって西周に勢力を張ろうとしたのです。これに対して、説客の左成は、西周の領主が司馬翦の要請に従わないと、楚と西周の関係が悪くなると示唆するとともに、自分の進言通りにすれば、西周の領主は自分が望む子を太子にでき、また、楚も西周に勢力を張ることができると言いました。しかし、そのような功績を建てると、相国一派が司馬翦を恨み、その身が危うくなるとも考え、そこで、相国の側近を唆して、司馬翦が西周で工作がしやすくなるように仕向けて、四方八方を丸くおさめながら司馬翦の望みを叶えさせたのです。このような策を献じた左成は規格外の策士と言っていいのではないでしょうか。こんなにも短い話ながら複雑な中国の政治の世界をみごとに表現している「戦国策」に興味を持ってくれたら嬉しいです。 次回は久しぶりに孔子の物語を再開しようと思っています。こちらも楽しみにしていてくれたら幸いです。